■あるく音■



 小学校三年生---。
学校の勉強が妙に真面目になった頃、時々家の敷地内に
ある祖母の隠居でお泊り感覚で寝起きしていた時期が
ある。
和式二間に離れたトイレがあって静かな場所だ。
向かいにはお隣りの広い庭の一角と家の畑があった。

そんな中、ある早朝の出来事。
寝起きの悪い低血圧だった私には珍しく
その日はふとなぜか目が覚めて時計を見ると
朝の4時半位。
夏場だったのか時間の割に当たりが明るかったような
記憶がある。

何かしら簡単な扉の向こうに短い渡り廊下を挟んである
トイレの方から何かがゆっくりと微かに やってくる気がする・・なぜかした。
それは空気に足が生えてゆっくりりゆっくり歩いて
くるような気配。

私は体を起さないまま耳を研ぎ澄ませてその様子を
伺っていた。
するとようやく扉からそれは畳の上に着いてゆっくりと
それでいて眠っている者達に気付かれないような感じで 歩行を潜めながら進んできた。

---畳を踏む音がしていたのだ。
音だけ・・・ゆっくりとゆっくりとそれは寝ている
私の頭の上に近付いてくる。

「こっちに来る・・・どうしよう。」
体が緊張で強張って、勿論置き上がる勇気なんかなかった。
眠ったフリをして耳だけを物凄くすませて固まっているとそれは私の頭の少し手前で 行き先を迷うように止まったり・・少し歩いたり・・。

そっと足音の方を薄目にして見るがやはり姿なんか
見えなかった。
見えなかったけどなぜか中高年位の男の人だと解った。
何か気配みたいなのがそう感じさせていた。
目的があって来たというよりもうろうとしたものが
さまよっている・・ そんな感じだったと思う。
少ししてそれはまた来た方向に戻るとゆっくりとゆっくりと微かな畳を踏みしめる音をさせて行ってしまった。

何だろう、何だろう・・・何だったんだろう・・・・。
それしか浮かばなかった。
誰かに言っても信じて貰えないと思ったし誰もそれが何なのか答えられる訳がないと解っていたのでこの事は誰にも話していない。

ただ、今考えるとあれはその頃に亡くなった祖父だったのかもなぁ・・と根拠はなかったけれど
ふと、そんな風に思えた。
この世とお別れしたら早々と把握して納得して昇天出来る魂というのはどれ位のもんなのだろう・・
死んだ事に気付かなかったら・・?
あの足音は本当に頼りなげで、自分はどこへ行ってどうしたらいいのか何も解らずさ迷っているという言葉が
ぴったりだった。